http://munich.jp/
ミュンヘン・オリンピックでイスラエルの選手たちがパレスチナ武装組織に殺害・拉致される。要求は政治犯の釈放。
事態の解決には「イスラエルの協力を断って」(当時)西ドイツ政府が対応。
しかし、これが裏目に出て、人質は死亡。
そしてイスラエルは有名な諜報組織モサドを中心に”報復”(=関係者暗殺)を行うことに……
※捕まった者たちは後に別事件との関係で解放されていた。
ちなみに、犯人たちの移動経路は、
選手村→バスで小空港→ヘリで空港→ジェット機で逃亡
であり、最後の「ジェット機への乗り移り」時の瞬間を狙撃隊が狙ったものの、不十分な結果に終わり、悲劇を招いた。
ちょっと、ややこしい。
ともかく、この映画では、主人公がこの(報復のための)暗殺部隊となってその仕事を遂行する過程を描いていきます。
が、そこはまあスピルバーグですし(?)、「これは虚しいただの殺し合いなのではないか、この関係には終わりがあるのか」という、それ自体はむしろ普遍的なテーマを浮き上がらせていくことになります。
相手も死ぬ、でも仲間も消されていく。恐怖感と憎しみ。
「とっても悪い人がやられる」ってのは、まあスッキリしてていいんすけど、こうした民族紛争については「いずれにも正義がある」という状況で、それを各自主張している限り永遠に対立が残ることになります。
だいたい、人というものはいつだって「自分は間違ってるわけではない、少なくとも一定の理由はあるのだ」と思っているものです。
大げさに言えば、それはきっと「自己の存在の肯定/否定」に関わる問題でしょう。しかし、根深い問題です。とっさの言い訳は明らかに”自己防衛”ですw
自らの中にある「正義」は、その人、その国家にとっての「存在証明=アイデンティティ」になっています。これは”抜きがたい”ものです。
論理的(?)には「正義は正しい」のですから、そこには迷いはないはずです。が、現実に現れる状況が悲惨の連鎖でしかないように思われる場合、それをどう考えるか、といったところでしょう。
あ、映画のほうなんですがねw、一連の事件が古いだけに、そこで展開される暗殺の過程もまた、幾分どこか懐かしいカンジのする映像です。「暗殺」を扱った映画は昔から作られているわけで、そこらへん、……ああ、とりあえず『ゴッド・ファーザー』みたいなものと思っていただければ。
冒頭に紹介したように、ややフクザツな事件です。わたしもほとんど知識なく見に行ったのですが、ややとまどったかな。ま、分かれば何ということはないのですけど、スピルバーグあたりには”常識”なのかな。日本なら”赤軍事件”とかたまにニュースになってますが、当時生きていた人にとっては”常識すぎる”ハナシというのと同じなのかな。
なお、この映画は「史実に基づいて」作ってありますが、事実そのものではありませんw
とりあえず、こことか。
http://www.geocities.com/inazuma_jp/munhen.html
2008.03.26
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ナチスに対する「言論レジスタンス」に参加した女性のハナシ。
「白バラ」はグループ名。主張は「自由」。
グループのリーダーはゾフィーの兄(ハンス)なので、事件を描くに当たってはこのハンスを主人公にしてもよさそうですが、ここは女性であるゾフィーの視点から描いていきます。その方がナチズムといった「男性原理バリバリ」な思想と対比できていいという判断でしょうか。
ちなみに、この映画ではハンス、ゾフィー、プロープストの3名が民族裁判にかけられますが、その他にも仲間は捕まって処刑されてしまったようです。
処刑にギロチンが使われていたのがショッキングでした。
この映画もちょっと希望のない映画ではあります(^^;
わたしが戦争について思うのは「当時生きていたらどう振る舞うべきだったろう」とか「どう振る舞えただろう」というところですね。
ゾフィーたちの運動は考え方によっては「甘い」です。カベに「打倒ヒトラー」とか書きなぐって実際どうなるものでもないわけです。捕まったのは反戦のビラ配りだし、活動としてはイマイチな気もします。(とはいえ、彼らは大学院生にすぎないのですが。)
ふと脳裏に「レニ・リーフェンシュタール」が思い浮かぶ。ナチスに協力するカタチで映画などを作った女性。
ナチス政権下では仕方がないじゃないかとも言えるし、協力すべきでなかったというやや理想主義を語ることも出来る。彼女の生き方をどう考えるか?
映画としては「信念に生きた女性」ということになるでしょうか。
そして、その信念は「正しかった」のだと。
もう一つは「突然”死”を迎えさせられる者」の心の葛藤などですかね。ある意味、彼女が捕まって処刑されるまで当時でも異例の4日しかなかったのですが、その間に抱える葛藤は数十年分あったかもしれません。
彼女はプロテスタントですが、「処刑」という究極の”不条理”は宗教的なテーマによく現れるもののような気もします(聖書とか)。
2008.03.26
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ウォーク・ザ・ライン/君につづく道
サブタイトルは勝手につけましたw
でも、原題を訳しても(だいたい)そういうことなんだよね。
基本的にはこの映画は「愛の映画」です。
ちょっとイヤな言い方になるかもしれませんが、「愛」とは障害があるほど盛り上がるものです。さまざまな狂おしい思いの果てにたどり着く、その場所に「愛」があれば至上の喜びとなります。
映画というものはほとんどが「障害を乗り越える主人公」を描くものですが、この際、その障害が大きく困難なものであればあるほど、一種の崇高さを感じられたりするものです。(まあカタルシスと言っちゃっていいのかどうか)
「君が好きだ」
「あら、あたしもよ」
ではハナシにならんのであってw、
「君が好きだ」
「わたしはそうじゃないわ」
というところからストーリーは動くというものです。。。
主人公の「ジョニー・キャッシュ」は50〜60年代に1つのピークを迎えた実在のミュージシャン。
ジョニー・キャッシュ/アンソロジー
映画の中でも「エルビス・プレスリー」や「ボブ・ディラン」の名前が出てきます。
ギターのボディを持つほうの肩を怒らせ、弦の先を床に向けるスタイルが特徴的だったみたいですね。
ジャンルとしてはカントリー・ロック?
ジョニーは子供の頃からの憧れだった女性シンガー(ジューン・カーター)とツアーで運命的に出会います。
でも、その時は彼には妻子が……(彼女にも……)。
二人の愛路は多難すぎます(^^;
一方で、この映画はジョニーの「伝記」の要素も含みます。
(ちなみに、亡くなったのは2004年。そこまでは描かれませんがw)
デビューまでの苦い体験や、人気ミュージシャン、トップスターの抱える性質の苦悩が彼を襲ったりします。
そして、父との関係。
いわばダブルパンチでジョニーは人生のどん底を味わいます。
そこからどうやって……の部分は書けませんw
教訓的な映画ではないかなw
「こういう物語もありじゃないか」っていう意味でペーソスあふれる秀作だと思います。
2008.03.26
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「サトラレはこちらにいるのですか?」(鈴木京香)
「沈んでいるのはタイタニックですか?」
というボケをかますのは問題があるかもしれない(^^;
ただ、映画の構成には類似性がある。
「宇宙……」とかいう人は木刀で殴られそうです。
(映画の中には何と鉄パイプで殴るシーンがある。)
さて、これもノンフィクションと言ってよい作品なのであろう。
見る前の懸念としては「CGとかへぼかったらどないしょ?」っていうのがあったんだけど、この点はほとんど問題なく見れた。
航空機からの掃射で次々と血に染まっていく場面は見てるのがツライ。
あ、もう一つ「涙々のシーンばっかだったら……」というのもそれほどではなくバランスはよかったと思います。
絵がしっかりしていれば、後はハナシということになるのだが、これはもう「事実の重み」がものを言う。
大和の出撃はそれ自体「特攻」であり、胸に詰まる展開が繰り広げられることとなる。
戦死者は3000という数字が出てたりするが、大和自体には2747名が乗っており、269名が生き残ったのみという数字を見かける。
(アメリカ側で把握している数字のようだ。アメリカ側は死者12名ってあまりに少ないような気がするが……(^^;もちろん、大和は単独でなくいちおう船隊を組んで赴いているのでそれぞれの艦で死傷者がいます。)
計算すると90.2%が亡くなっている。
だからこそ、生存者は「俺だけが生き残って」という思いが強かったと想像される。
この映画ではそういう「生き残り」の船長が出てきます。
軍事にうとい者としては、機銃の構造に驚いた。
機銃は3つの砲門があり、それぞれにカートリッジをセッティングするので、まずこれに3名が張り付く。
そして、掃射のためにはタテ・ヨコの動きが必要なわけだが、それぞれ担当が機銃の左右にある銃座に座っている。タテにぐるぐる回すヤツとヨコにぐるぐる回すヤツがいるのです。結局1つの機銃に5人が張り付いている。
それにしても基本的に丸腰なわけで、当たればイチコロである。怖すぎる。
テレビで見た記憶では、この機銃、慌てて作ったものらしい。
時代が航空機の時代ということはさすがに分かりつつあったのだが、もはや空母を建造どころではなく、仕方なく「せめて打ち落とす設備だけでも」ということで改造を施したという。
しかし、前述の統計によればアメリカ側で落ちた戦闘機は10機のみ。
全く当たっていない……。
大和の面目躍如としては、その注水システムが有名だそうで、一度は傾いた船体を立て直すシーンも再現されていた。
なお、大和は沖縄戦で沈没するより前にも出撃はしているが、活躍はできていない。
戦闘とは関係ないが、郊外を走っているバスは「木炭」で走ってたりする。こういう作品は細かいところの再現が評価を決める。
戦争についてあれこれ語るのは、特に善悪で語るのは危険だと思うこの頃。
ただ、近代戦は戦争を起こす前にある意味決着がついている。
基本的に「挑発されて出て行った方が負け」だ。
戦争に「逆転」はそうそうないのである。あっても局地戦だけだ。
※すいません、偏見でしょうか(^^;?
「勝てるかもしれない」では絶対勝てないのである。
とはいえ、戦争は戦争前から始まっているのであって、追い詰められた方はどうすればいいのかという問題がある。いや、この時点ではまだ止められるわけで、「始まってしまったら」というべきかな。
この映画でも「我々が死ぬことで何かためになるのでしょうか?」という言い合いになるシーンがある。
その答えは書きませんがw
2008.03.26
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ドン・チードル/ホテル・ルワンダ
……その中でホテルの支配人としての主人公(ポール)が多くの避難民をそのホテルに受け入れ、助けたという事実を映画化。
唯一の頼みの綱は国連軍の存在だが、それも当てにならない。
(まず国外に逃がしてもらえるのは外国の旅行客やジャーナリストたち「だけ」というシーンはツライ。)
さらに、この主人公はこうしたフクザツな状況をうまく渡っていこうと普段から軍の人間などにサービスをしてきたのだけれど、いざこのような極限状況にあってはほとんど役に立たない。
ギリギリの選択を何度も迫られる。
このエピソードはすさまじい虐殺の中での「奇跡」とも言える出来事だが、それでも正に紙一重で助かってるだけであり、見終わったあとにすがすがしさはあまりない。
民族紛争の陰に見え隠れするヨーロッパ諸国の動きなども現実のやりきれなさを思わせる。かつての植民地支配の陰はまだ消えていないのだ。
(しかし、それはそれで逆利用する場面もある。が、そもそもの原因は植民地時代に宗主国が行った民族差別にあるのである。また、ポールのホテルは「外資系」である。オーナーがいい人でよかった。)
主人公たちが助かったのはホントに運も大きい。
ちょうどレジスタンスが反撃を進めつつある状況があったのだ。
とはいえ、主人公の支配人の必死の活動には頭が下がる。
時には金を使い、時には開き直り、時には電話で助けを求める、などなど。
ちなみに、彼の妻はツチ族だったりする。よく守れたよなあ。
また、彼の部下がひどい裏切り行為を繰り返したりするのだが、これもホントだったのだろうか。
この手の作品は「事実を元に」描かれてはいるが、事実そのものとまでは言えないこともある。しかし、それはまあ細かい経緯の問題で、起こったことはほぼ事実と考えてよいのであろう。
なお、詳しい事情などはこちら。
最後のほうにこの映画の元になったハナシが出ています。
2008.03.26
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